おもろかった
尾原宏之さん
https://digital.asahi.com/articles/ASS7K1TDSS7KUPQJ00PM.html
――明治時代から今に至るまで、「反・東大」の声が一部でありました。
「日本社会で『東大』がそれだけ特別な地位を占め続けてきたからです。ある意味で『後進国』性の表れだといえます」
「例えば米国だとハーバードだけではなく、イエールやスタンフォードなど同じ水準の大学が複数あります。そうしたトップ大学の学生も、リベラルアーツ・カレッジから編入したり、大学院などから入ったりすることも多い。高等教育にある程度の多様性があるわけです。一方、日本では、学士入学や大学院入試で東大などの一流大学に入ることを『学歴ロンダリング』と揶揄(やゆ)する風潮が存在します」
「東大出身のロシア・東欧研究者から『モスクワ大学と東大には似たところがある』と聞いたことがあります。『後進国』が国民国家をつくっていく過程で、近代化を進めるための人材育成システムとして最高の教育機関をつくり、序列がつけられた。モスクワ大と東大が似ているというのはそういう意味でしょう。それがいまに至るまで持続しているように見えます」
――「後進国」性は東大のあり方や日本の教育にどんな影響を与えたのでしょうか。
「一極集中で優秀な学生を集めて、近代化を担う人材を急速に養成しようとするので、必然的に詰め込み教育に近くなります。授業に出て教授の言葉をひたすらノートに記録する生活に疲れた東大生も早くから現れます」
「教育史研究を見ると、日本では明治時代から予備校が発達していたことがわかります。学校体系ができあがるのとほぼ同時に、予備校が成立していたといえる。地方の中学校では、語学や数学など高度な学力が要求される高等教育の準備に対応できなかったからだと考えられています。事実上、教育体系に予備校がビルトインされていたことになります」
つづき
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――東大や旧制高校では文系でも数学を重視するなど、オールラウンドの知識が求められました。
「東大型の人材は、今でいえば5教科7科目が満遍なくできることが前提となっています。得意な科目で高得点を取るよりも、すべての科目をそつなくこなすことが『学力』の基準だとされていました」
「入試に数学のない『私立文系』を下に見る風潮は明治時代からありました。東京専門学校(現在の早稲田大学)出身の作家・正宗白鳥は新聞記者だった1905年に、早稲田の卒業生は帝大出身者より下に見られるのは当然だと自虐的に書いています」
「どんな分野でもそこそこ結果を出せ、何にでもなれる人間こそ、近代国家のエリートとしてふさわしいという価値観があったわけです。一芸に秀でていることよりも万能性やバランスが評価されたといえるかもしれません」
――国家が近代化のための人材を養成するというのは、大学の本来のあり方なのでしょうか。
「東大を始めとする『官学』のあり方への反発は古くからありました。代表的なのは慶応義塾の創設者・福沢諭吉で、『官学全廃論』まで唱えています。初期の議会では、旧制高校の前身である高等中学校などの国立学校の予算を廃止しようといった提案もありました。今後は私立学校が発展するので、国家が学校をつくる必要はないというのが論拠の一つでした」
「福沢は官僚養成が主目的だった帝大に対抗するために、ハーバード大をモデルに慶応義塾を強化しようとします。彼は慶応をいずれハーバードの日本分校にすることまで構想していました」
「しかし、慶応や同志社のような私立大が自然に発展するのを待つ余裕は、当時の日本にはありませんでした。不平等条約改正や富国強兵のために、とにかく近代化を速く進めなくてはいけない。東大を頂点とする高等教育制度を短期間でつくり上げるしかなかった。そこから生じているひずみが、現在に至るまで続いているように思います」
@odakin@social.vivaldi.net
俳句を発見しました!
『(現在の 早稲田大学 )出身の』
『現在の 早稲田大学 )出身の』
『価値観が あったわけです 。一芸に』
『バランスが 評価されたと いえるかも』