コロナ後も続く「面会制限」と日本社会の思考の癖 磯野真穂さん寄稿:朝日新聞
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https://digital.asahi.com/articles/AST2P2S2WT2PULLI009M.html?ptoken=01JNDAT3K7RTBSGB4ADRS9DSJ5
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日本は、罰金や逮捕など、法による強い拘束力を用いることなく、「お願い」ベースで全国的な感染対策を実施した社会として知られている。しかしそれは言い換えれば、上からの管理の代わりに、国民同士の相互監視に感染対策の行く末を委ねたということだ。また、相互監視の他に注目すべき点は、県内と県外など、「ウチ」と「ソト」の境界を強力に作り上げ、感染という悪はソトから持ち込まれるのであるという世界観を作り上げたことである。
感染初期の頃であれば、人間のありがちな反応として理解できる。しかし感染が全世界・全国で広がった状況において、ソトを過剰に警戒する防御はどう考えても無意味。ところが日本はその状態になってからも、ウチとソトの考えを持ち出し、感染拡大を理解しようとした。県外の人と交流した事実をもって、その感染を「県外由来の系統」と名付けてみたり、「鎖国2.0」「外国人嫌悪」と名付けられるほどの厳しい水際対策を2年以上も続けたりといった対策がその例である。
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いまだに全国で続く医療機関の面会制限はこの延長であろう。
病院関係者を「ウチ」、それ以外を「ソト」とみなし、ソトを徹底的に排除することで安心を得ようとする。
冒頭の高木氏が京都新聞掲載の記事などで端的に言い切っているように、医療従事者が一般人と変わらない生活を送るいま、面会者だけをことさらに危険視する発想は無意味。特定の患者だけに会う面会者より、複数の患者の間を行き来する医療従事者の方が、感染リスクとしては高いだろう。しかし日本社会の思考・行動のクセを踏まえると、医療従事者はウチの人間だから感染を拡大させないけれど、ソトの人間である面会者は感染拡大を招く恐れがあるというメンタリティーは皮肉にも理解できてしまう。
加えて田中さんの例から明らかなのは、面会を許す選別の基準にも、この世界観が入り込んでいるということだ。
病院関係者をウチ、それ以外をソトとするだけでなく、患者の家族はウチ、それ以外はソトとする。このように、ウチとソトの境界が同心円上にいくつも作られ、脅威であるソトを排除すれば安心という面会制限の運用がなされている。加えて、面会者として病院に入れた後も、病室には入れず、ミーティングルームのみとか、面会時間10分といった関門が設けられ、面会者はそれらに縛られる。一つの神社内に複数の鳥居が設置される神社のようで、実に日本らしい。
これは言われてみればそうかもなー、と
>医療従事者が一般人と変わらない生活を送るいま、面会者だけをことさらに危険視する発想は無意味。特定の患者だけに会う面会者より、複数の患者の間を行き来する医療従事者の方が、感染リスクとしては高いだろう。