https://note.com/chikurin_8th/n/n8c17c027c6c4
「ジェーンは子猫を見つけたいと思っています。子猫は、本当は遊び部屋にいます。でも、ジェーンはキッチンにいると思っています。ジェーンはどこを探すでしょうか?」
なんておもしろいんでしょう
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こうしてほとんど答えを教えているのに、「ジェーンはどこを探すでしょうか?」と問われたとき、3歳児は「キッチンを探す」と答えることができません。「遊び部屋」と答えてしまう。3歳児の頭の中はどうなっているのか。ちょっとわけがわかりません。正答率は3歳児で16%、4歳前半児でも31% にすぎません。そして、4歳後半で急激に上昇して86% になります
紹介してきたのは、古典的誤信念課題と呼ばれる1980年代の実験報告です。その後の研究の進展によって、設定を工夫すれば、18月齢児でも、他人に誤った信念を帰属させることができるのが判明しました。誤信念の帰属それ自体は18月齢ですでに可能になっているのです。それなのに、上記のような古典的な課題には4歳を過ぎるまで正答できない。その原因は何なのか。
めちゃめちゃおもしれーな
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前回、「観念はそれ自体として見れば偽にならないというデカルト以来の観念説の主張は、意識内容に関する人類共通の事実からは〝ずれて〟いる」という指摘を行ないました。今回、これに加えて、外的世界が一切存在しないとしても私の心の中の観念の世界は存在する、という主張も、ヒトの自然本性から〝ずれて〟いる、と指摘する結果になりました。
この二つの〝ずれ〟に、西洋近代思想の特徴が現れているはずです。二つ主張を一つにまとめると、自分の観念世界は、外界と切り離すことができ、それ自体で真理として存在する、という主張になる。この、ある意味で途方もない主張が、どういう歴史から生まれ、どういう歴史を作ったのか、これから少しずつ考えて行きます。
@odakin@social.vivaldi.net
俳句を発見しました!
『すぎません 。そして、4歳 後半で』
『月齢で すでに可能に なっている』
『それなのに 、上記のような 古典的』