それよ。
「こいつらは怒らない」と思われてたまるか 津村記久子さんの一票
https://www.asahi.com/articles/ASSBK02RCSBKUPQJ00GM.html
鼻をつまんで投票
かつては一票に「世の中をもう少しマシに」という願いを込めていました。今は「〈その人ではない〉と言う権利を行使する」という感覚です。投票は「あなたの一票が社会を変えます」みたいな前向きな行動ではなく、「それをやらないといいようにされるから」という自衛として向かうものになっています。
>
大阪に住んでいたことが理由として大きいかもしれません。都構想の住民投票が2回も行われ、「投票しなければ自分の納得がいかない方向に物事が進んでいく」という状況に直面しました。選びたい候補者がいない選挙は何度もあります。それでも、「少しでも嫌じゃない方」に鼻をつまんで入れる。投票に行かず、黙認したことにされるわけにはいかないですし、政治家たちから「こいつらは諦めているから怒らない」と見くびられたらたまらないからです。
それな
>
2022年の仏大統領選関連で読んだ記事の言葉が印象に残っています。デモをしていた人が、マクロンとルペンのどちらを選ぶかを問われ、「どちらも嫌だけどマクロンに投票する。マクロンならまたデモをすればいいけど、ルペンになったらデモもできなくなるかもしれない」と話していました。私も同じような気持ちで投票しています。
まったくですな
>
候補者の得票が「いいね」の数である必要はないんですよね。「今回はあなたが一番嫌じゃなかったけど、もっとマシな人が現れたら次はそっちに投票するからね」と考える私のような有権者の票もある。投票した候補者が落選したとしても、「負けた」なんて思わず「嫌だ」の足跡を残したと考えればいいんです。