#Bluesky は #Fediverse の課題点を技術的に克服し得るものとして #ActivityPub
に変わる新たな #ATProtocol を作ったという流れは理解してるけど、その #Fediverse の課題点がそもそも従来のように「SNS はグローバルビューをもつべき」という世界観から見たときの「課題感」だと思っていて、#Fediverse はそもそも「適度に分断し、適度に繋がる」ということを前提として設計されていて理想像がそもそも違うし、それを「#Fediverse には投稿の無断収集に文化的抵抗がある」という話だけでなんとなく「ネガティブで保守的な文化がある」という感じにしか書かれていないのが少し残念だった。
なぜ #Fediverse にそういう文化があって、なんでそれが一定数そこで支持されてるのかということまで深堀りしていくと、そこにはもうちょっとポジティブな見方もできることもあるはずなんだけどなーと。
ただ、どこにでも原理主義的な考えはあるように、たしかに #Fediverse には「勝手にクロールされる」ということに強烈に拒否反応を示す人がいたり、そういう人の声で串刺し検索サービスが「もう無理ー」と潰れてしまったことは、事実、自分が #Mastodon #VivaldiSocial
始めたあとにもあったし、#Mastodon に現状の検索機能にも結構強く反対している人がいたのは見ているので、確かにそういう文化的「傾向」というのはあるとは思うし、対抗する #BlueSky が目指す理想もわかるところはある。
じゃあ #Bluesky が「良い」のか?といえば自分にとってはそんなことはなくて、現状ではむしろ #Bluesky こそ稼働しているインスタンスはほぼ中央集権だし、結局「技術的に分散可能というだけで実質中央集権」みたいな「分散型という傘をかぶっただけの存在」になる可能性はあると思う。
その点、標準化団体が標準技術としてすでに定めている #ActivityPub に対応した複数のソフトフェアがあって、またインスタンスの大小があるにせよ、それらのソフトウェアが使われた複数のサーバーを個人や企業が運用していて、それがすでに連合しているという実績も #Fediverse にはあって、それを無視して従来の SNS の視点でみた「グローバルビューがない」という観点だけ(※)で過小評価するのはフェアじゃないような。
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アカウントポータビリティは少なくとも にはあるし、スケーラビリティーについても、理論的限界はそうであっても、実際には時間が改善・解決していく部分もあるし、今必要なスケールに対応できているのであればそんなにクリティカルな問題じゃないと個人的には思っている
(つまるところ not for me な記事だったというオチ