あら、Naoko さんも Automatic を辞められるのか。
すんごく昔に一度だけお会いしたことがあって、日本で WordPress といえばこのお方、といつも Web から活躍をなんとなく拝見していたので、なんとも複雑な気持ち。
Matt さんのムーブについて、いろんな方の意見をチラチラ読んでいる。
#OSS の成功事例の代表格である #Wordpress でおきたことで、OSS そのものの限界を感じるという意見もあって、なるほど、うむむ、ともやもや考えている。うむむ。
#OSS は手段の一つ、というのは結構前から思って
英語圏を #Vivaldi でエゴサしてたりするとよく #OSS を推している人から二言目に「ただ Vivaldi は結局 OSS じゃないからさ(だめ)」とか「まずはソースコード公開してから出直してね」みたいな雰囲気のコメントがついていたりするんだけど、そこまで #OSS そのものをひとつの理想とかゴールだと考えるのはちょっと自分にはやり過ぎ感があって、もうちょっと「手段に近いもの」だと考えた方が、#OSS を作る人にも使う人にとってもよいのでは…と、今回の #WordPress のニュースなんかを追いながら考えてた。
#OSS にも良い面と悪い面があって、そのメリデメみたいな話は「Vivaldi がオープンソースでない理由」(下記)のなかでも触れられていて、Vivaldi は OSS とかなり近い理想を目指しながら OSS というものも一つの手段として評価しながらそれも大事にしつつ、今実現できる最大限の理想に向けて進んでいる感じが応援できるポイントでもあって。
https://vivaldi.com/ja/blog/why-isnt-vivaldi-browser-open-source/
そう考えると、#OSS として存在し続けることの難しさとか、「理想像としての #OSS」みたいなものを実現させるのはむずかしいのかもしれない、ということを、今回の #WordPress の件とか、最近の #Mozilla 周りのニュースとかをみてもやもやと考えていると思うことではある。
ただ、そう考えていった先に何か新しい、より理想的で現実に実現し得る何かがあるとしたら、それは #OSS そのものを全否定するものではないと思うし、そうであってほしいと思う。
とかなんとかモヤモヤだらだら考えながら #Vivaldi をエゴサしていたら、こんな素敵な記事が出ていた!
https://note.com/histone/n/n725fa71d3a55
#Vivaldi とオープンソースの周りで言いたいことのほとんど、というかより詳しく全部この記事に書いてあった
いろいろモヤモヤ考えた結果、
自分を縛る「他人から見た一貫性」は、気にせず捨てていこう
という、オープンソースとかあまり関係ない(自分の中では関係なくはない)結論に至った土曜日の夜中
この結論に至ったことでいくつかの自分の環境とか行動を少しかえてみようと思う。
そのひとつとしてたまにここでの発言を X へリンクを投稿するというのは再開しようかな
#Threads にもここでの行動をすこし横流ししようかと思うけど、 もうすぐ #Fediverse に対応するというのが逆になやましいな。
まあいいか
#X のほうは #VivaldiSocial の投稿リンクはると、OGP のカードみたいなやつで2行くらい文章表示してくれるな(意外
Threads はアカウント名しか表示してくれない #fediverse 完全対応待ってる
「@nibushibu にプッシュ連絡できるのは #Fediverse
⁂ だけっ!(おいでよ Fediverse)」
↑
(なんの引きもないな…