『エクソシストを堕とせない』(2021-)にも、それらと通底する社会的な意識が見出される。
ストーリーとしては、七つの大罪を象徴する強大な魔王たちが現世に現れるのを、エクソシストたちが叩き返していく異能バトルものだが、例えば「強欲」の魔王は人々の権力欲を煽りたてるマッチョだし、「嫉妬」の魔王リヴァイアサンは「母性」の軛から逃れようとしているといったように、現代的な問題意識に引きつけて解釈されている。主人公の属する教会(すなわち人間的-神的な正義を体現する側)それ自体についても、内部の虐待体質が示唆される。
主人公側の先輩格キャラクターが「ヒスパニック+中年女性+たぶん義肢」であるのも、エンタメで不可視化されがちな属性群を露骨なまでに詰め込んでいる(画像2~3枚目)。さらに、魔女たちの詠唱「母と娘と悪霊の名において」(4枚目)も、既存の男性中心的体制全体に対する異議申立のカウンターであることは明らかだ。
「差別」や「マイノリティ」というと大袈裟で厄介なテーマのように感じられがちのようだが、90年代の漫画やゲームでしばしば「環境」が納得のいくモティーフとして共有されていたように、2010年代以降のサブカルチャーに対してリアルな切実さや、物語を動かす動因や、読者たちの共感を生み出す重要な手掛かりになっていると思う。
(つづき:)そういった堅苦しい読み方をしなくても、ショ○神父くんが可愛いとか、容赦のない異能バトル(相手の詠唱を待ったりしない)とか、派手な攻撃エフェクト表現とか、○ョタ神父くんが可愛いとか、キリスト教教義を丁寧に取り込んでいるところとか、様々な楽しみ方ができる作品だし、実際そのようにエンタメとして楽しまれているのが大多数のようだ。その中に、上記のような問題関心もごく普通の一部として取り込まれ、受け止められていくなら、それはそれで良いことかなと思う。