総門を過ぎ西(山側・湖西線側)へ歩くと、進行方向右手に二筋の通りを見ることが出来る。最初に西町・伊勢町への通り、次にこぢんまりとした石垣町である。これらも分部期に拓かれた通りで、伊勢町はその名の通り分部氏が安濃津や上野(伊勢)から連れてきた商人たちが住んだのであろう。
石垣町は「いしかけ」と読むが、分部期に石垣村が大溝陣屋の敷地となった為に当地に移転・集住したらしい。なお本来の石垣は広く、現代の近江高島駅から日吉神社にかけてに広がっていたようだ。
西町・伊勢町の通りでは画面奥に薄らと山影が見える。地図で見ると、あれは高島北部の山だろう。もしかしたら越前若狭と北郡に接する海津田屋(マキノ地域)の山々なのかもしれないが定かでは無い。
ちなみに両方の通りの真ん中に水路が見えるが、これが大溝城下の特徴である「町割り水路」で、分部期に生活用水などの為に整備された水路である。この水路だけでも観に来る価値があるというものだ。