共にナチスに加担したシュミット(1888生)とハイデガー(1889生)の間には明白な平行性がある。
まず、ともにカント主義的な「理性を備えた主観性」を否定したこと。
またシュミットと同じく、実存主義と見られることもありながら、ハイデガーも相互に還元不可能な「個人」の複数性には全く関心がなく、「共存在Mitsein」としての「民族 Volk」が思考単位であること。
同じ現象学的存在論というアプローチを採るサルトルとハイデガーの根本的な差異の一つはここにある。
ハイデガーは師のフッサールの追放に積極的に加担したが、シュミットもケルゼン(共にユダヤ人)の誹謗中傷に勤しんだ。
またWWII後はナチス人種思想から離れたとされながら、21世紀に入って刊行された戦後の日記で延々と人種差別的記述を書き続けたことが「発見」されたことまで共通している。
ただシュライヒャーやパーペンといったヒンデンブルク大統領の下で首相を務めた連中の顧問であったシュミットとハイデガーでは権力との距離はかなり違う。
これは他国と比較して、当時の独の法学大学教授の地位が異常に高かったことと関係がある。
WWI後のオーストリア憲法の起草者はかのケルゼンであり、ワイマール憲法はフーゴー・プロイスとウェーバーが起草。