ルーツを知る事がそんな重要か?民族や母語、母国なるものを知る必要がそんなあるのか?というような強い思いがある一方、自分は何者なのか○○人なのかと思い惑う事への解決の一つの糸口としてルーツやアイデンティティがある事は否定できない感じ。
いまの私自身にとっては、ルーツの国だとかいまいる国だとか、母語だとか、民族だとか、そういうものはある意味どうでも良いもので、言葉や国籍は必要に応じて対応すればよい、それ以外はどうでもイイみたいに思っているが、それは、ある程度ルーツだとかルーツの場所の言葉とか文化とかを知っているからそう判断出来たのかもしれないという感じ。
かな。
アイデンティティだなんだに悩んだ頃が終わったあたりから「ルーツとか何それ。そんなのどーでもイイ。」って考えて生きてきたのですが、この10年くらいかな、すごく意識させられてきてましたし、そのうえ今回の永住権取消法改定です。「私みたいな人間が息をひそめて生きなきゃいけないようになりそう」という感覚が非常に強くなりましたね。
私は私だしあんたはあんただしあいつはあいつ。ただそれぞれに色んなラベルがついている。国籍だの民族だのってのはそんなラベルの一つであり、まあその他にも出身校とか色々あるだろうけど重要なのは『その人』でありラベルはその人を構成する要素ってだけのどうでもイイものだ。(ただし、そういうのは「みんな同じ」として「同調圧力」とか「同化強制」というもの容易に転化するので取り扱いには注意が必要)と思ってきたところはある。
まあどうでもイイと思っていたといってもそれを恥じていたわけではない。
まあ誇っていたこともないが、ご先祖さんから引き継いできたものでもある以上、それなりの扱いをしなきゃいけないとは思っている感じ。
国とか民族とかに対してはどうでもイイと思ってるというか帰属意識があまりないというか。自分を構成する要素の一つとしてのルーツは大切にしておきたいとは思ってるけど。
そういうラベルの一つを医療タダ乗りのように敵視されアイツらがやったみたいな感じでカジュアルに犯罪者のように言われ、周りの多くがそんな話を明に暗に許容してたり軽い冗談のノリでヘラヘラ笑ってるの見せられるのは、、、非常に不安だし不快。そして隠さないといけないように感じさせられるのには怒りも感じる。
なんだテメーらって感じで。
そんな感じ。